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あの頃、マリー・ローランサン [散歩・散走]

イチョウは黄
 カエデは紅(あか)や
  京にしき

今日は「オレの庭」を離れて、京都まで遠征どすえ。

 

・・・と言っても、残念ながらBD-1Rを伴っての"京都紅葉散策ポタリング"ではない。黄葉や紅葉ではなく、パステルカラーに彩られた、二十世紀前半のパリに咲いた芸術の薔薇、ジェイアール京都伊勢丹7階・美術館「えき」KYOTOで開催中の『マリー・ローランサン』が唯一のお目当。その会期は10月28日から11月17日までで、これまで訪ねるタイミングを逸していたが、もう残す日にちがない。明日は母と連れ立って四天王寺参拝の予定が入っている。ワタシの都合上、今日が最終日となってしまう。

午前中を絵画鑑賞に当てて、午後はポタとしたいところではあるが、そんな余裕は無い。麗らかに晴れ渡った青空が余計に恨めしい。とりあえずオープン早々の駅ビルに潜入する。

♢♢♢♢♢

美術館「えき」KYOTO『マリーローランサン展』.jpg


マリー・ローランサン
(Marie Laurencin 1883年10月31日 - 1956年06月08日)は、20世紀前半に活動したフランスの女性画家・彫刻家で、フランス近現代の文化・芸術を考究するワタシにはその対象でもあり、同じ時代に同じパリに生きた芸術家たちとの交流も気になるところ。そして、その後半生に淡い薔薇色で描かれた、ロマンティークな女性像の優美さ。徒や見逃すわけにはいかない。

十九世紀の末、パリは華やかなBelle Époque(ベル・エポック/良き時代)の中。その最中、1883年に私生児として生を受けたマリーは夢見がちな少女時代を経て、新世紀の幕開けと共に女流画家として歩み出し、アカデミー派の画家フェルナン・アンベールの画塾アカデミー・アンベールで学びながら、そこでジョルジュ・ブラックと知遇を得る。彼の紹介でモンマルトルに在った「洗濯船(Le Bateau-Lavoir/バトー・ラヴォワール)」を訪れたマリーは、そのボロアパートの住人でもあるパブロ・ピカソらからキュビスム(Cubisme/立体派)の洗礼を受ける。
先進的な芸術家連との往交、就中彼女の心を惹きつけたのは、
イタリア出身のポーランド人の詩人、小説家、美術批評家ギヨーム・アポリネール。キュビスムの先導者との恋は彼女の画風とその人生に大きく影響し暗い目をした引っ込み思案な少女はフランス画壇のミューズへと成長する。その赫々たる生活とは裏腹に彼女の描く作品は色彩を放棄し、黒い輪郭線が画面を区切る。
しかし、些細な間違いからアポリネールは「モナリザ盗難事件」の容疑者として逮捕・拘留されてしまい、マリーにとっての蜜月の日々は6年を数えたところで唐突な破局を迎える。そして、母の死。突然の孤独。恋の終わりはキュビスムとの別れ。マリー・ローランサン、三十歳の頃。
煢然なるボヘミアンとなったマリー。自身が抱く寂寥感に反して、初の個展は成功を収め、エコール・ド・パリ(École de Paris)の新進作家として知られるようになり、その翌年にはドイツ人男爵オットー・フォン・ベッチェンと結婚。
ところが、その幸福も永くは続かない。世界を巻き込んだ大戦は、ドイツ国籍となったマリーがフランスに留まることを許さず、中立国スペインへの亡命を余儀なくされる。マドリッドからバルセロナ、贅沢を愛する生粋のパリジェンヌにその地は似合わない。一層の孤独感。絵筆を置いた彼女は詩を綴る。
満たされないうち、終戦とともに離婚。7年振りにパリの人となったマリーは再び絵筆を手にする。趨勢Les Années Folles(狂乱の時代)へと移り、文化の中心は海を越えてアメリカへと渡り、Roaring Twenties、あるいはGolden Twentiesへと変遷する。
目紛しく変化する情勢下、
灰色の格子の中の孤独な囚われ人であったマリーは解き放たれたようにその作風を変えて、甘やかなパステルカラーに彩られた女性像を多く描くようになる。パリの上層階級に属するマダム達の間ではマリーのポートレートは評判となり、彼女に描いてもらうことが一種のステータスとなって、それを契機として、舞台芸術の装置や衣装のデザインも手がけ、幅広い分野で活動するようになる。

没後60年を記念して開催された今回のエキシビション。展示作品はマリー・ローランサン美術館所蔵する油彩画を中心とする約80点で、それが彼女の作風の変遷を追うように年代順に並べられ、そのスタイルの変化から四部構成となっている。

Ⅰ. 最初期 1904-1906
21歳でアカデミー派の画家フェルナン・アンベールの画塾に通い、本格的に絵画の勉強を始め、ジョルジュ・ブラックパブロ・ピカソ
ヴァン・ドンゲンらと知り合った時代。モンマルトルに在った彼らのアトリエ兼住居のぼろアパートLe Bateau-Lavoir(バトー・ラヴォワール/洗濯船)に足繁く通い、そこで前衛詩人ギヨーム・アポリネールとの運命的な出逢い。
この頃はまだ写実さを留めながら、ブラックピカソからの影響を受けて、キュビスム(
Cubisme/立体派)へと傾倒し出した時代。

Ⅱ. アポリネールとの出合い 1907-1910年前半
キュビスムの影響を受けて、暗く沈んだ色調を好み、画題を太く鋭い輪郭線で描いた時代。その影響下にありながらも、自分らしさを模索する。

Ⅲ. フォン・ヴェッチェン男爵との結婚 1910年後半-1920年
アポリネールと破局、母の死。ドイツ人オットー・フォン・ヴェッチェン男爵と結婚していた時期。第一次世界大戦勃発に伴い、スペインへ亡命。プラド美術館でのゴヤ作品との出会い。囚われ人のような境遇であったのか、格子状のモティーフを多用した頃。

Ⅳ. 成熟〜晩年 1921-1956
二度の大戦を経験し、破局と出逢いを繰り返し、パリに戻ったマリーはようやく自分の描きたいものと巡り合う。柔らかい透明感のあるポートレートは評判となり、

眼を惹くのは円熟期のポートレート・・・ではあるが、興味をそそられるのは、そこに至った過程にある初期〜中期の作品。その変遷が面白い。時代背景を反映し、社会情勢や風俗に影響されながら、変わりゆく作風。当時マリーが関心をもった人物や事柄、それらを取り込みながらも独自の画風を模索する強い意志が読み取れる。
音楽はライヴがいいけれど、絵画や美術作品も写真や映像ではなく直接眼にしたほうが、その深層にあるものまで診ることが出来る・・・ような気がする。

彼女の作品からも音楽が聴こえる・・・と思ったら、犬や猫、馬やラマ(?!)などとともに、ピアノやギター、ヴァイオリンやトランペットなどなど、様々な楽器が小道具、あるいは添景と描かれていた。それらが無音の音楽を奏でている。それがワタシのココロをときめかせる。

作者の心象がその表層に現れているなら、その裏側にあるものを読み取るのは観覧者の心象。
近現代のアートは解りづらいと言われるが、どう見えるかより、どう感じ取るか、インスピレーションなのだとワタシは思う。古典的なセオリーが十九世紀末に崩壊し、作者個々のインスピレーションに委ねられた新しい時代の作品。それを読み解くのは同じヒラメキ。ルネサンス以降積み上げられてきたメソードやセオリーが影を潜めて、音楽ならば調性感が希薄になって、絵画ならば輪郭線が曖昧になって、立体造形ならばそのアンバランスさ。その半ばモヤァ〜とした表層の奥底にある核を読み取る面白さ。どう解釈しても、どう捉えてもいいのではないかと思う。瞬間的な感知として、その時々で変化しても構わない。聴く度に、観る度に変化するから面白いのだと感じる。
理屈じゃあ語れないものを理屈で語ろうとするから難しくなってしまう・・・ンじゃあないか?!
音楽にしろ絵画・造形にしろ、芸術まで押し上げられた技巧が十九世紀の終わりとともに一旦リセットされてしまって、より身近なものへと窯変してしまったのだもの、"ノリ"でいいんじゃあないかな。作者が生み出すグルーヴを感じ取ることが出来るかどうか。
例えば父バッハや楽聖ベートーヴェンなら居住いを正して静聴してしまうが、例えばドビュッシーなら、例えば昼下がりにマンタローでも飲みながら聴くや聞かずや。その中に時折り浮かび上がる密やかな刺激感。見え隠れする刺衝が心地いい。同じ時代、十九世紀末から二十世紀初頭の音楽と絵画、柔らかな表層に隠された刺激。
その楽曲や絵画の中に何を見出すか。そういった意味では、近現代芸術は観覧者自身を写す鏡・・・なのだと思う。ココロの有り様を写す鏡。ワタシが近現代アートに惹かれるのはそういう部分なのかもしれない。

理屈じゃあない・・・と言いながら、随分理屈っぽくなりましたね(てへぺろ)。


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