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Tombeau de musique française classique [音楽のこと]

映画音楽が好きで、音楽映画が好きなのだけど、その中でもフランス映画、フランス(近代)音楽が好みのフランス贔屓。フランス国歌「ラ・マルセイエーズ(La Marseillaise)」を聴くと号泣出来てしまうので、前世がフランス人、"ベルサイユの黒薔薇"と呼ばれたヒトなのかもしれません(ほんとか?!)。

 

前回の「チェロとピアノのためのシネマ」に続いて、今日は愛、アムール(Amour)』を取り上げようと思ったのだけれど、そのために見直したら切なくなっちゃって(涙ちょちょぎれて)、しかもフランス語の映画ではあるけれど、監督・脚本はドイツ人だし、映画の中で演奏されるのはベートーヴェンだし。いいんだけれど、ちょっと後回し。

先日の「ワンコイン市民コンサート」で演奏されたモーリス・ラヴェルの「クープランの墓(Le Tombeau de Couperin)」に触発されて、フランソワ・クープラン(François Couperin 1668年11月10日 - 1733年9月11日)からの"古典フランス音楽"、つまりはバロック期の音楽を扱ったフランス映画『めぐり逢う朝(Les Matins Du Monde)』を顧みる。


映画はマラン・マレの述懐から始まる。
バス・ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)奏者にして、作曲家、指揮者として知られるマラン・マレ(Marin Marais、1656年5月(洗礼:31日) - 1728年8月15日)は、ブルボン朝第3代のフランス王国国王ルイ14世の宮廷に仕える楽士。パリ南の貧民街で見習い靴職人の子として生まれた彼は、幼少の頃から音楽の才能を認められ、聖歌隊から始まったそのキャリアは、変声期を機に、ヴィオールサント=コロンブなどに師事して、やがて名手として知られるようになり、"太陽王"のお抱えにまで上り詰める。

この映画『めぐり逢う朝』は、彼、マラン・マレとその師、サント=コロンブ(Monsieur de Sainte-Colombe)、二人が向き合う、音楽と愛のストーリー。そして・・・。

音楽を神と自らのためだけに捧げた師と、音楽を通じて名声を得て、あらゆる栄誉を手に入れた弟子。その芸術的葛藤、対立と和解、それぞれの愛と悲恋を軸に、拮抗する二人の天才と伝統の継承、音楽芸術に対する概念。音楽、あるいは、芸術は一体何のためにあるのかという普遍的な命題に挑んだ作品となっている。
マレはともかく、サント=コロンブは半ば伝説の人で、ほとんど資料がない。実名や生没年すら知られていない。作曲家としては、177曲の独奏曲が筆写譜として残されていて、ヴィオール奏者としては、それを改良し、第7弦を加えるという発明をしたとされる。
おそらくリヨンかブルゴーニュの小貴族の出自ではないかとも言われ、1630年~1640年に生まれて、1690年~1700年に他界したJean de Sainte-Colombeがこの人物であるとされている・・とWikipediaにはある。
フランス、ラングドック=ルシヨン地域圏やオート・ノルマンディー地域圏に"Sainte-Colombe"という地名も見られるから、その辺りのご出身か? "château Sainte-Colombe"なら、ボルドー産ワイン。
革命で資料が焼失してしまったのか、あるいは、彼が愛した楽器が廃れるとともに、彼の名前も歴史から消えてしまったのだろうか。
映画の中の暮らしぶりはそれなり豪奢で、立派なお屋敷もあれば、妻や娘は綺麗なドレスを召している。子供たちのために家庭教師まで雇っている。使用人も何人かいる。推測するに、それなりの領地を持つ地方貴族で、道楽でのめり込んだ音楽、ヴィオール演奏が"神"の域まで達してしまった・・・か?
Sainte-Colombe、神と音楽と名も無き音楽家。"三位一体"の一角、音楽聖人だったのかも知れず・・・。

♢♢♢

17世紀、ルイ14世の御代。ベルサイユ宮殿に集った楽士のリハーサル。物憂げにそれを聴いていた指揮者マレは叫ぶ。「違うッ!!!! 音楽の目的は魂を奪うことだ!!
そして、彼は述懐する。と、ここで1660年の春にタイムリープ。

ヴィオール道を極めようとするサント=コロンブは、最愛の妻を亡くした悲しみから、社会を拒絶し、庭の隅に建てた粗末な小屋に籠り、求道的にヴィオールを弾き続ける。その楽器の構え方、新たな運指法を編み出し、その音色をより豊かにするために弦を増やすなどの工夫も凝らし、演奏技法を高めるとともに、その楽器のための作品を書き綴る。
奥様を亡くした悲しみは同情に値するけれど、だからといって、子育てを放棄して、引き篭もりはアカンやろ。と思ったら、愛情表現を知らない音楽家は、二人の愛娘には音楽を伝授し、ヴィオールの手ほどきも施す。時には娘たちと一緒にサロン・コンサートを開いてみたり。
その評判を聞きつけた"太陽王"は彼をベルサイユに召還するが、いくら招かれても求道者は頑なにそれを拒み、ついには国王の怒りを買い、すべての宮廷人に対し、彼と絶交するようにとのお触れが出てしまう。
社会を拒絶し、社会からも拒絶され、いよいよ仙人めいた生活に没頭するサント=コロンブ。それとともに、亡き妻への思慕の念は深まり、夢か現つか、独り演奏する彼の傍らには亡き妻の姿が・・・(ヒュ〜、ドロドロドロ・・・)。
宮廷人との交際は絶っても、弟子入り志願の若者は訪れる。その中の一人がマラン君(当時17歳)。非凡な才能は認められても、そう簡単に弟子にはしてもらえない。姉妹の助言により、ようやく一ヶ月後に入門を許される。
師は弟子に言う。「世俗の匂いのない音に耳を傾けよ。風の声の中に、主旋律と低音の対照を聴け。画家の筆の音を、運弓に活かせ」 ほとんど禅問答のような・・・。よく分かりませんが・・・。
名声を得たいと望む弟子と厭世的な師は、マレが王の御前で演奏したことに因り、完全に決裂。激昂して弟子のヴィオールを叩き割るコロンブ師。それを見兼ねて、父に代わって、父から伝授された秘法をマレに教えるのが、美しく成長した姉娘マドレーヌ。二人は恋に落ちる(フランス映画のお約束?!)。父の小屋の床下に二人して潜り込み、その演奏を盗み聴き。さらなる秘法、秘術を得ようと試みる。そこでマドレーヌはマランを求めるが、野心を胸に秘めた彼は師が奏でるヴィオールの音に耳をそばだて・・・。二人の行く末を暗示する。
時は流れて、20歳となったマレは、宮廷楽長ジャン=バティスト・リュリ(Jean-Baptiste Lully 1632年11月28日 - 1687年3月22日)のオーケストラに加わることとなる。それを知ったサント=コロンブマレに破門を告げる。
狭い小屋に籠り、亡き妻の幻影と生きるサント=コロンブ。宮廷楽士として名声を得たマレはマドレーヌを捨てて、社交界の華たちと浮名を流す。そのマドレーヌは死産ののち、病いがちとなっても、去っていった男の影を慕う。三つのディソナンス。歪な音楽家の、いびつな愛憎。Le baroque musique. それぞれが美麗な音楽を生み出せても、円満には至らない。
時流れて、宮廷楽団の常任指揮者となったマレ(画面上いきなり息子から父にバトンタッチされて、ちょっとビビるけど)。彼がそのオーケストラと演奏するのは、若き日にマドレーヌのために作った曲。
彼は妹娘トワネットに請われて、甘やかな過去を思い出し、病床のマドレーヌを見舞い、自身の演奏でその調べを聴かせるが、病床の恋人は最後の気力を振り絞り、病身の師となって、宮廷楽団員の演奏に示教する。それは最後のイニシエーション。最期の口説。聴き終えて満足を得た後、彼を送り出したマドレーヌは、かつて彼から贈られた靴のリボンを解き、それをベッドの天蓋に括り付けて・・・。
厳格だった師との媒介でもあった最愛の人を亡くしたマレは、師への想いを再燃させる。矢も盾もたまらず、暗闇の中、かつてマドレーヌと床下に潜り込んだ小屋へと馬を走らせる。その壁に耳を当て中の音を探るが、聞こえるのは(娘まで亡くした)孤独な老師の絶望の声ばかり。
闇に乗じての日参は23日を数え、ある夜、その扉が開かれて、マレは小屋へと招き入れられる。
師が弟子に問う。「音楽は何のためにあるのか
弟子は応えていう。「最後のレッスンを
最初のレッスンだ」師の誘いに応じて、二人は演奏を始める。

そして、冒頭のシーンへとタイム・リープ。ベルサイユ宮殿内のサロンでヴィオールを演奏してみせるマレ。そこに集った楽士が憑かれたように聴き入る。マレがその後方に眼をやると、そこには亡くなったはずの師の姿が・・・(ヒュ〜、ドロドロドロ・・・)。
君が弟子であったことを(今は)誇りに思う。娘のために音楽を・・・、と師は求め、それに応えてマレは独りヴィオールを奏でる。

♢♢♢

この映画は、マラン・マレサント=コロンブの物語り。その二人が向き合う、音楽と愛のストーリー。そして死んでいった者たちへの「Tombeau(トンボー)」。

フランス語のmusique、英語のmusic、ドイツ語ならMusik、イタリア語でmusica。それらの語源は共通して、ギリシャ語のmousikēであるが、さらに遡れば、それはMousaに至る。フランス語・英語にするとMuse(ミューズ)で、音楽・舞踏・学術・文芸などの時間芸術を司る女神の総称。
映画の中、サント=コロンブのミューズは、その死後でさえ彼に影響を与えた、この世のものとは思えないほど美しい妻。マラン・マレにとってのそれは、もちろんマドレーヌで、病いから自死を選んでも、きっと彼の心の中に生き続ける。というか、マダムにしろ、その娘にしろ、愛する良人のために自ら望んでミューズと化した・・・のではないか。彼らが真に欲するものが何かを知っての自己犠牲。
サント=コロンブマラン・マレも愛するミューズのために楽曲を綴り、それを演奏する。彼女たちのために、生涯にわたって「Tombeau(トンボー)」を弾き続けることになる。そして、その傍らには在りし日の美しかったマドレーヌが、マダム・サント=コロンブが寄り添うに違いない。
でも、史実のマレは別の女性と結婚し、10人もの子供を為しているらしいのだが・・・。

しかし、サント=コロンブがベルサイユからの誘いを拒み続けたのはいかなる理由によるものか。
娘たちも交えて、自身サロン・コンサートは開いていたようだし、人前で演奏するのが苦手なわけじゃあないらしい。そこには都会の貴族も訪れていた。宗教上の理由か、政治的な原因か、それとも・・・。
神と自らのために捧げた音楽、彼のミューズへと奉じた音楽。マダム・サント=コロンブの「très bien」が聞きたいがために、彼の音楽はあったのか。
音楽は何のためにあるのか」、その命題の回答は・・・?
それに対して、「最後のレッスンを」と切り出すマランはまだ俗っぽい、というか分かりやすい。述懐の中で自らそう言っている。師の足元にも及ばないと。
最初のレッスンを」と返す師匠との関係は、この後どれほど続いたのだろうか。彼がヴィオールを弾く度に、サント=コロンブとマドレーヌ、マダムまで立ち現れるかと思うとちょっと怖いぞ。

監督・脚本はアラン・コルノー、製作はジャン・ルイ・リヴィ、共同脚本・原作はパスカル・キニャール、撮影はイヴ・アンジェロ。撮影は、当時と同じ光源を使って行われたそうで、91年にルイ・デリュック賞、92年にセザール賞主要7部門(作品、監督、助演女優、撮影、音楽、録音、衣装デザイン)を受賞した1991年の作品。
配役は、マラン・マレ(壮年期)をジェラール・ドパルデューサント=コロンブジャン=ピエール・マリエル、成長後の姉娘マドレーヌにアンヌ・ブロシェ。華奢な肢体まで惜しげもなく披露(これもフランス映画のお約束?!)し、主役に迫る演技でセザール賞助演女優賞となった。この世のものとは思えない美しさのマダム・サント=コロンブにはカロリーヌ・シホール。妹娘トワネット(成人)はキャロル・リチャート。マレの青年時代を演じるのはジェラールの実子ギョーム・ドパルデュー、父子で1役をシェア(さすがに、当時43歳だった父に17歳の役はキツイ!!)。

で、ワタシが特に注目するのがセザール賞にも輝いた音楽、サウンドトラック(ス)。ジョルディ・サバールがそれを担当。チェロからヴィオラ・ダ・ガンバに転向し、その名手となったスペイン生まれの古楽器演奏家。

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そうそう。その、ヴィオール属ヴィオラ・ダ・ガンバについても語らないといけません。
チェロのようで、チェロじゃない。ギターにも似ているけれど、ギターでもない。映画の中で使われたバス・ヴィオールはチェロと同等の大きさと形状なのだけど、ネックにはギターのようにフレットがあって、弦は(通常)6弦。
イタリア語でヴィオラ・ダ・ガンバ(Viola da gamba)、フランス語でヴィオール(viole)、英語ではヴァイオル(viol)、ドイツ語ではガンベ(Gambe)。呼び名はヴィオラなのに、ヴァイオリン属ヴィオラとは別物。
"ガンバ"が"脚"で、"脚のヴィオラ"。対して、ヴァイオリン属ヴィオラは正式にはヴィオラ・ダ・ブラッチョ(viola da braccio 腕のヴィオラ)。
抱えられる大きさではないので脚の間に挟んで演奏するが、チェロのようなエンドピンを持たないので、両脚でしっかり挟んで固定する、なんだか脚が攣ってきそうな楽器。フレットがついて音は取りやすそうなんだけど、ヴァイオリン属同様に弓でボウイング。そのフレットも固定ではなく、ネック上をスライドさせることが出来て、自由にチューニング出来るらしい。フレットは、ネックの裏側まで回り込んでいて、ボディに掛かるほどのハイポジションにはつかない。
ヴァイオリン属・・・"腕のヴィオラ"が、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとそれぞれの音域に分かれているように、ヴィオール属・・・"脚のヴィオラ"も幾つかのサイズと各々の音域に分かれ、映画の中でサント=コロンブマラン・マレが演奏していたのがバス・ヴィオール
ヴァイオリン属と近しいのに、近しい故か、17世紀半ばには廃れてしまった。ヴァイオリン属に比べて、音量も豊かではなく、大劇場や野外には適さず、宮廷サロンや教会での演奏が主であったため、音楽のエンターテインメント化が進むにつれて出番が少なくなり、多くの作曲家、演奏家はヴァイオリン属を選んだわけだ。19世紀末以来の古楽復興のムーヴメントに乗り、リヴァイヴァルしている。
バスはそれなりの大きさ・・・チェロくらいの大きさ、重さがあるので、映画の中でも、サント=コロンブは娘がある程度の身長になるまでその楽器を与えなかった。まだ幼い妹娘のためにはわざわざパリまで出向いて、小さいサイズを誂えていた。

そうそう。先日、若いオジョーサンのチェロ・リサイタルに赴いた際、隣席におられたご婦人方がプログラムに目を通しながら、「10歳からチェロを始めた」って遅くない?・・・なぞと仰っておられたが、4〜5歳じゃあ、演奏どころかチェロを構えることさえ出来ませんぞ。チェロの前にヴァイオリンなり、ピアノで下地を作ってからその楽器に移ったと想像出来ないのかしらン?! まァ、ええんやけど、ね。

Marin-marais.jpg


この肖像画は若き日のマラン・マレ・・・らしいのだが、7弦仕様のヴィオールを横抱きしている。髪型はヘヴィメタ系で衣装はヴィジュアル系?!

めぐり逢う朝.jpg

映画公開当時のジャケットには若き日のマラン(ギョーム・ドパルデュー)とマドレーヌ(アンヌ・ブロシェ)。美しい!!

Les Matins Du Monde.jpg

新装版は師弟のコンビ。Apple Musicにもコレクションされている

で、映画もオススメなのですが、サウンドトラック(ス)も激しくリコメンド。
サント=コロンブマラン・マレの作品に加えて、ベルサイユ宮廷楽長ジャン=バティスト・リュリが書いた「行進曲」、当時作られたと思われる作者不詳の「幻想曲」や「シャンソン」もあり、ジョルディ・サバールがこの映画のために書き下ろした楽曲もそれに並ぶ。16曲の収録曲がストーリーの中で効果的に用いられているが、映画を観なくても、"古典フランス音楽"のアルバムとして楽しめる。
全曲、サバール率いるアンサンブル、Le CONCERT des NATIONS(コンセール・デ・ナシオン)が演奏する。リュリの「行進曲」でさえbasse de viole(バス・ヴィオール)、violon(ヴァイオリン)、clavecin(クラブサン)、Théorbe(テオルボ)というシンプルな編成で、大半はサバールのソロ。歌曲にはソプラノが2名加わるが、その古い、16世紀に作られた作者不詳の素朴なシャンソンが(歌詞はよく分からないけれど)胸に染みる。高音女性歌手が二人というのは、映画に登場する二人の美しい娘(子役)に当たる。
孤高のヴィオール仙人サント=コロンブの作品はサバールがアレンジメントし、「2つのヴィオールのためのコンセール『トンボー』」はまさに"風の声の中に、主旋律と低音の対照を聴く"ような。映画の中では、サント=コロンブがマドレーヌとデュオしたり、最後で最初のレッスンのシーンでは師弟のコンビで演奏される。
"天使の演奏"と称えられたマレの楽曲もよく再現されている・・・のでしょう、多分。

サント=コロンブマレリュリに加えて、フランソワ・クープランの「Troisième leçon de Ténèbres à 2 voix(ルソン・ド・テネブル 第3番)」。映画の中では、教会でのミサのシーンで流れる。歌詞の内容・・・聖書から取られたというその哀歌は、意味こそ理解出来ないけれど、二人のソプラノの透明感溢れる歌声がなんとも胸を打つ。クープランも"太陽王"の御前で演奏したそうなので、もしかしたら、マレヴィオールクープランのクラブサン、二人の共演もあったのかしらン?? そういうことを想像出来たりもするから音楽は楽しい。

バロック音楽・・・と時代は同じ、なのだけど、それとはちょっと違う"古典フランス音楽"。"太陽王"の下、燦然と輝いた芸術の都、パリの息吹がtrès bienな感じ?!
ワタシ的には"フランス近代音楽"がもォ〜っとtrès bienなのだけど、例えばラヴェルの「クープランの墓」のように、奥底には300年前の旧い古い音楽が根付いている?! となったら、たまにはバロック音楽・・・、いやいや、フランス独自の「古典音楽」にも耳を傾けないといけません。音楽だけでは難しくても、田園風景が美しく、華々しいベルサイユ朝の風俗まで観ることが出来る映画のサウンドトラック(ス)になったら、満足すること間違いなし。

もうちょっとだけ、フランスの音楽の話しを続けよう。

ラヴェルの「クープランの墓」の原題は「Le Tombeau de Couperin」。Tombeau de ・・・」というのは、「故人を偲んで」、「故人を称えて」という意味であるらしい。映画の中、コロンブ師も「亡くなったもののために音楽を」と仰っている。
フランスへの愛国心が強かったラヴェルは、旧い鍵盤楽器(クラブサン)奏者で作曲家のフランソワ・クープランを尊敬もし、敬愛していた。クープランだけにとどまらず、彼が生きた時代、18世紀の"古典フランス音楽"総てへの哀悼の念を持って、このオマージュを作り上げた。
この曲の構想を練っている最中に、全世界を巻き込んだ史上初の大戦が勃発。自らも従軍したラヴェルは、この「トンボー」に友人たちへの哀惜も加味することになる。
古式に則って、古典舞曲形式の6曲からなる組曲。そのそれぞれが亡き友人・知人に捧げられている。そのために、「」と"誤訳"されたのかしらン?

めぐり逢う朝(Les Matins Du Monde)』のサウンドトラック(ス)にも「トンボー」が3曲含まれる。「〈2つのヴィオールのためのコンセール「トンボー」より〉(LES PLEURS・ソロ版)」とその"ヴィオール・デュオ版"がサント=コロンブ作曲(サバール編曲)。そして、マラン・マレが亡き師に捧げた「サント=コロンブ氏のためのトンボー〈ヴィオール曲集 第2巻 1701年〉(TOMBEAU POUR MR. DE SAINTE COLOMBE)」。『』は2ヴィオール版も独奏版もゾクゾクと肌が粟立つような感触を覚え、マレが師に当てた「トンボー」もとてつもなく麗しげ。

亡くなったものの安息を神に願うなら「レクイエム(Requiem)」なのだろうけど、亡くなってしまったものへの直接的な惜別の念が込められたのが「トンボー(Tombeau)」なのだろうか。故人に変わって、安らかな眠りを神に願うより、亡くなったものに対して、お別れを惜しみつつ、在りし日を偲ぶ。となったら、「墓」じゃなく「追憶」と訳す方がロマンティークかなァ。それだと、mémoireだったり、souvenirやsouvenance、réminiscenceになるのかな。

ワタシは不勉強で、ラヴェルとこのサウンドトラック(ス・つまりはサント=コロンブマレ)以外の「トンボー」を知らない。ドイツ・オーストリアやイタリアにはこの様式の楽曲は存在するのかしないのか。"古典フランス音楽"固有のスタイルなのかしらン。
ヘンデルや大バッハは「オラトリオ(oratorio)」。モーツァルトやヴェルディ、ブラームスは大層な「レクイエム」。そういえば、ベルリオーズやフォーレもド大層な「レクイエム」。

皮肉屋ドビュッシーなら本当に「」にしそう・・・と思ったら、「ビリティス(Chansons de Bilitis)」絡みで、『ナイアードの墓(Le Tombeau des Naïades)』、『無名の墓(Tombeau sans nom)』があった。やっぱり、"Tombeau"が""と訳されている。まぁ、こちらはピエール・ルイス(Pierre Louÿs 1870年12月10日 - 1925年6月6日)の詩があって、そのタイトルだし。それでも、最晩年にピアノ連弾に改めて、「6つの古代碑銘(Six Epigraphes antiques)」となったら、6曲組みの、過去を惜しむ「コンセール・トンボー」に聴こえたりして・・・。

付随音楽版「ビリティスの歌」、フランスの名女優カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve)が朗読を担当し、Ensemble Wien-Berlin(アンサンブル・ウィーン=ベルリン)が演奏する、アルテュール・オエレによる復元校訂版がApple Musicでも聴けるので、是非どうぞとリコメンド。

Debussy- Chansons de Bilitis.jpg


アルバム・タイトルこそ「DEBUSSY: CHANSONS DE BILITIS」なのだけど、ドビュッシー最晩年のフルート独奏の傑作「シランクス(Syrinx)」や「様々な楽器のための6つのソナタ(Six sonates pour divers instruments)」から『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(Sonate pour flûte, alto et harpe)』も収められて、超オススメ!!
ドビュッシー
の代表曲は「月の光」ではなく(それはそれでええんやけど)、晩年の円熟期にこそ聴くべき楽曲が多い。

ビリティスの歌」こそ手元に詩のテキストがないと朗読内容が理解出来ないかもしれないが、情景的な音楽を聴くだけでも楽しめる。
このアルバムにはラヴェルの作品も収録されていて、ハープとフルート、クラリネットが管弦楽とともに歌い上げる「イントロダクション(Introduction and Allegro for Harp Flute Clarinet and Strings)」が秀逸!! それに続く「亡き女王のためのパヴァーヌ(Pavane pour une infante défunte)」もかなりヤバイ!!!!
そして、「ヴァイオリンとチェロのためのソナタ(Sonate pour violon et violoncelle)」も収録されているのだけれど、これはドビュッシー追悼のための「クロード・ドビュッシーの追憶に(À la mémoire de Claude Debussy)」という企画のために作曲された楽曲で、「Tombeau de Claude Debussy」と副題されているが、やっぱり「ドビュッシーの墓」と訳されたりする。
同じ企画「追悼曲集クロード・ドビュッシーのトンボー』」のためにマヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla y Matheu)が作曲したギター曲が「Homenaje pour "Le Tombeau de Claude Debussy"で、「ドビュッシーの墓碑銘のための讃歌」とも訳されるが、「讃歌ドビュッシーの墓のために』」として知られる。これもApple Musicで探せます。

サント=コロンブフランソワ・クープラン、そしてクロード・ドビュッシー。フランスの(ちょっと偏執的な)作曲家は、称えられ、偲ばれつつも、「」に葬られてしまうのね。嗚呼、デビュシイ

いやァ、(フランス)映画(音楽)は、ほんッとに素晴らしいですね!! ではまた、来週お目にかかりましょう(Tombeau de Haruo Mizuno・・・?)。


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