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”幻想・Fantasie・ファンタジー” ~ 沼沢淑音ピアノリサイタル [音楽のこと]

今日は今年最初の「ワンコイン市民コンサート」。シリーズ第50回を数える今月のプログラムは『沼沢淑音ピアノリサイタル』で、テーマは「幻想(Fantasie)」。新進のピアニストが奏でるイリュージョン。さて、それは・・・。

 

沼沢淑音.jpg


雨上がり、鈍色の雲が広がる冬空の下、通い慣れた大阪大学豊中キャンパスにある大阪大学会館を訪ねる。先週の「ドビュッシーとピアノの謎」に続いて、今週も彼が作曲した「前奏曲集」や「喜びの島」が聴けるとあっては、雨が降ろうが、雪が降ろうが、中止にならない限り馳せ参じますよ。

今日ステージに登場するのは、これまでに幾つもの権威あるコンテストで優勝経験があり、昨年6月にモスクワ音楽院を卒業された若きピアニストの沼沢淑音(Yoshito Numasawa)さん。
用意された演目は、シューマンリストドビュッシーフォーレと多様なようで、"幻想(ファンタジー)"というテーマで纏められている。

14:30開場。いつものバルコニー席A-32。ステージではリハーサルを終えた常設ピアノ、1920年製Bösendorfer252がチューニングを受けて、開演の時を待つ。先週は1913年製Blüthnerで演奏された「喜びの島」を今日はほぼ同時代に作られたBösendorferで聴く。片やライプツィヒの銘品ならば、もう一方はウィーンの至宝。まさに耳の贅沢といったところ。

15:00になって開演。
一曲目はロベルト・アレクサンダー・シューマン幻想小曲集 Op.12」。
タイトル通りに幻想的な情緒に満ちた、8曲からなるピアノ曲集で、シューマンが後に妻となるクララとの熱愛にその身を焦がした頃の作品。

今回のテーマは"幻想"なのだけど、そこで取り上げられたシューマンリストドビュッシーフォーレは何れも奔放な恋愛からスキャンダルを巻き起こした、不貞の輩というか、不逞のヒトたちで、今風に言うと"ゲスの極み。"? 恋愛的ボヘミアン。作曲家だけに"ロマンス(romance)"好き・・・とか言ってられない。
リストは「ピアノの魔術師」とまで呼ばれた
ヴィルトゥオーソであるが、シューマンは指の障害から、ドビュッシーはショパン譲りの独自の運指法を非難されたことから、ピアニストとしての成功を諦めた、諦めざるをえなかった・・・という共通点を持つ。さらに、その二人は若くから文学や他の芸術にも通暁したという点でも似通っている。その辺りが"幻想"へ至る回廊・・・なのではないかしらン?
リストは、その卓越した演奏技術から世のご婦人方にキャーキャー騒がれて、その人気から宮廷楽長まで上り詰めて、その後に何故か僧籍に身を置くことになり、フォーレはフランス国立高等音楽院の教授という安定した地位を手に入れた。それに引き換え、シューマンドビュッシーときたら・・・。シューマンに至っては、精神を病んで、安定した職を渇望したにも関わらずそれが実らず、自死まで試みることになってしまう。
前者二人は外交的、社交的であったのだろうが、後者の二名は内省的に過ぎたのかしらン?
似ているようで、異なる4人の作曲家。共通項はその女性関係。フォーレドビュッシーは同じ女性に求愛しているし。
そうなると幻想的音楽は自由な恋愛から導き出される・・・ということになる?
んン、ショパンや他の作曲家もそういう傾向にあるといえばある・・・ような・・・。"恋は幻"・・・なんていうと、なんか昭和の歌謡曲みたいじゃあないか?

ステージに注目しなければ・・・。

幻想小曲集」は、旋律的というより詩的で、クララとの関係を描いたと思われる狂おしげな口説。クララに宛てた8編のラヴレターとも取れる。
沼沢
さんの演奏は、一言で言うと、しなやか。指先だけでなく手首までフレキシブルに可動範囲が広いような印象で、ただ柔らかいだけでなく、キレがあるような、音のひとつひとつにエッジを感じさせるような、鋭利なしなやかさ。譜面台さえも取り払って、全て暗譜で演奏していることから、指先(とペダルを踏む足先?)に全神経を集中させているのだろうけれど、音にムダやムラがない。的確にBösendorferを歌わせて、非常に聴き取りやすい。

2曲目にいく前に、楽曲解説。
ワンコイン市民コンサートシリーズ実行委員会代表荻原哲先生がインタヴューするのだけれど、演奏とおしゃべりの両立は苦手と仰る沼沢さん。しかも、演奏会直前に、ロシアでは不吉とされる黒猫とカラス、その両方に遭遇してしまったとかで気もそぞろ?!
早くピアノと語らせてあげてください。

で、2曲目はフランツ・リストメフィスト・ワルツ 第1番村の居酒屋での踊りS.514」。
ゲーテの『ファウスト』でも広く知られるファウスト博士と悪魔メフィストフェレスの物語。その伝説に関心を寄せていたリストが、ニコラウス・レーナウの長大な叙事詩からインスピレーションを得て書き上げたワルツはグラマラスなリズムとハーモニーが幻惑的。悪魔が奏でるワルツもBösendorferなら円やかでちっとも怖くない?

シューマンは『ヘーローとレアンドロス』に、リストは『ファウスト』に、それぞれ心惹かれてそれを作品に仕上げたんでしょうか。それとも、シューマンリストも、女性の中に悪魔的なものを見出しながら、その蠱惑に抗うことが出来ず、魅了されてしまったが、その愛憎の表現を音楽に置き換えて、これらの楽曲を著したんでしょうかねェ。
"幻想"の源泉は、オンナか、古い物語りか。どちらにしても、オンナは恐い・・・ってことやね、ンン、違うか?

15分の休憩を挟んで、後半はクロード・ドビュッシー前奏曲集 第2巻 L.123」から『月光のふりそそぐテラス』、『水の精』。同じく「喜びの島 L.106」。そして、ガブリエル・フォーレ夜想曲 第6番 変ニ長調」と続く。
プレリュード」はショパンとの関係を匂わせつつ、独自の境地を現したが、他の作品でも詩や絵画から着想を得ているドビュッシーは、その前奏曲ひとつずつにも意味ありげな表題を付けている。「第1巻 L.117」の『第8曲 亜麻色の髪の乙女』がルコント・ド・リールの詩をもとに書かれたそうだから、他の23曲も何かソースとなるものがあったのかなかったのか。
インタヴューの中でも語られた、シューマン
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマンとの関係、ドビュッシーエドガー・アラン・ポーとの関わり、それら幻想文学作品が今回演奏された楽曲にどれだけ影響を与えたかを探るのも面白いかもしれませんな。かなりの難題でしょうけど。

難題といえば、これもインタビューの中で問いかけられた命題で、
"ドビュッシーが「喜びの島」を発表した前後の他の作品の多くは3曲組みのスイートとなっているのに、これだけがどうして単独の小品なのか?!"。
先週の「ドビュッシーとピアノの謎(→記事参照)」でも同じ話題が出たはずで、そこでは解答を示されなかった。

喜びの島(L'Isle joyeuse)」はアントワーヌ・ヴァトーが描いた『シテール島の巡礼(Pèlerinage à l'île de Cythère)』から着想を得たとされ、1904年に出版されているが、その曲の草稿はもっと以前からあって、当初「ベルガマスク組曲(Suite bergamasque)」に組み入れられる予定で書き始めた。しかし、完成に至らず、それは為し得なかった。恐らく、その絵画に込められた真意を読み解けなかったに違いない。 "喜び"の意味を理解しえなかった。

この楽曲が完成を見る前、ドビュッシーエンマと道ならぬ恋に落ち、前妻リリーに別離を告げて、二人はノルマンディ海岸の保養地ブルヴィルとその沖合にある英領ジャージー島へと旅立つこととなる。音楽に関心を示さないリリーと比べて、エンマはあらゆる面においてドビュッシーを魅惑した。
エンマ・バルダックシジスモン・バルダックの奥方にしてガブリエル・フォーレの愛人だったという。二人の作曲家を惹きつけたその女性はどれほどグラマラス(蠱惑的)だったのか。二人に音楽的幻想を抱かせるほどにアトラクティヴだったのか。

ペレアスとメリザンド (Pelléas et Mélisande)」の成功の後、その疲弊からスランプに陥ったドビュッシーが、さらなる名声を得るために、また、新境地を開こうと野心に燃えていた時に出会ったチャーミングな女性。自身声楽家でもあったエンマが、ドビュッシーにとっては天啓を授ける女神であったことは想像に難くない。女性として魅力的であった以上に、音楽的な素養と巧みな話術を心得ていたのかもしれない。
モーリス・ラヴェルフォーレが彼女のために歌曲を書いている。彼女の娘ドリーことエレーヌフォーレとの不義の子とも噂される。
当時すでに権威ある地位についていたフォーレを出し抜いてやりたいとドビュッシーは思ったに違いない。「私は彼女のために何を為すべきか」とも考えたに違いない。
パリでの醜聞を逃れるために海辺の街へ移ったが、それは逃避行であるとともに、新生面を開くための転地だった。エンマの子供だけでなく、ドビュッシーは弟子たちまで伴っている。「喜びの島」やその他書きかけのスコアやスケッチも携えて行ったはず。
パリでのスキャンダルとは裏腹に、その地でドビュッシーエンマは幸福だったに違いない。
ドビュッシーとピアノの謎(→記事参照)」によると、その際にBlüthnerも手に入れた。新天地で新しい伴侶と新しいピアノを自分のものとしたドビュッシーは再び創作意欲を沸き立たせた。フォーレラヴェルを出し抜きたい、再びパリで名声を勝ち取りたい。
エンマとのバケーションの中で初めて抱いた幸福感は、ドビュッシーを奮い立たせ、そのエクスタシーが「喜びの島」に結実した。その高揚と絶頂感はエンマに捧げられたもの。探るように静かな序盤からアルペッジョが燦めくような中盤、そして終盤の迸るファンファーレ。それはエンマの中にアフロディーテを見出して、そこで知った一瞬の幸福感。ドビュッシーの『シテール(Cythère)』はこうして完成した。
組曲としなかったのは、この1曲に全てが込められているから。プライベートでは幸せを得たが、社会的には窮地に陥る中、ドビュッシー渾身のひと振り、1打逆転の満塁ホームラン!!!!
入魂の力作は、あまりにも特異で、他の楽曲とは馴染まない。

「十八世紀趣味」、「ロココ趣味」から脱し、それらと決別して新たな境地を開くための離縁状。
エンマを勝ち取ったことへの、あるいは、パリへ凱旋するための華やかな凱歌。
もしかしたら、フォーレラヴェルエンマのために書いた歌曲への返礼として独立させたのかもしれない。もしかしてだけど、捻くれ者で皮肉屋のドビュッシーフォーレを嫌悪しながら、その高貴さに憧れてもいたのではないか。作品のテーマになるものがカブっていたり、案外似た者同士だった? それ故、エンマを我がものとしようと奮起し、『ドリー』に対抗するように「子供の領分」を作ったりもした?

パリに戻ってからは、この曲ほど幸福感に満ちた作品は作れていないし、浮気者同士の恋愛はさほど長く続かなかったし、泡から生まれたアフロディーテは泡沫と消えていく。
いと哀し。
プルヴィルからジャージーが竜宮城、エンマが乙姫様、そしてドビュッシーが浦島太郎・・・的な?!
乙姫様からもらった玉手箱がシュシュことクロード=エンマと言いたいところではあるが、それもねェ。
そして、玉手箱を開けてしまったウラシマ・ドビュッシーショパンのもとへと還っていく・・・。
ものの哀れを感じずには入られませんな。諸行無常。
メフィストのヴィオロンがファウスト博士や村娘を踊らせたように、エンマの歌声がフォーレラヴェルドビュッシーを享楽へと導いたのかもしれず。彼女がその時代のパリの「音楽的幻想」の源泉だった・・・かも。

ワタシの中での「喜びの島」のイメージは、まァ、こんな感じ。邪推? それとも、それこそ"幻想(Fantasie)"?

フォーレが「ノクチュルヌ 第6番」を書いたときに傍らにいたのがエンマだったのか、他の女性だったのか。この作品はウジューヌ・デクタル夫人に献呈されているが、フォーレ先生もかなり"お盛ん"だったようで、多くの歌姫と共演もしているし、彼をして傑作へと導いたアフロディーテなりミューズはさて?!
フォーレも、ドビュッシー同様、ルコント・ド・リールポール・ヴェルレーヌから着想を得ている。シューマンリストドビュッシーフォーレ、4人が4人ともどこか破滅的な文学から影響を受けて、その韻律が与える酔いから女性たちの破滅的な享楽に没頭した・・・か?
"幻想"の源泉は・・・?!

レヴューより余計なことを書き過ぎた。
アンコールはシューマンの「予言の鳥」やグリンカ雲雀」など4曲!!
今日もしっかりたっぷり堪能させて頂いて、Bösendorferの音色に酩酊させて頂いた。

次回は、2月14日(日)開催の『7人のフレッシュアーティストが贈るバレンタインコンサート』。うら若きミューズ・・・乙女たちによるピアノ・スペクタキュラー!!

林田彩愛・R.シューマン:ソナタ第3番 第1楽章
大西晴香F.リスト:「超絶技巧練習曲集」より 第9番‟回想”
岩佐涼 ・S.プロコフィエフ:サルカズム、ソナタ第3番
藤村星奈F.リスト:「巡礼の年 第2年への追加ヴェネツィアとナポリ」より‟タランテラ”
久保英子L.V.ベートーヴェン:ソナタ第26番「告別」
齋藤優衣M.ラヴェル:「鏡」より‟悲しき鳥”‟道化師の朝の歌”
東口雪菜S.バーバー:ソナタ

華やかなファンタジー・・・となるかしらン?


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