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1915年のドビュッシー ~ ショパンへの想い [音楽のこと]

今日は、"フランスの思い出を悼む"を口実に(?)仕事をおサボりして、フレンチ・ブルーのツィード・ジャケットでおシャレして、大阪倶楽部での音楽会に向かいます。
ピアニストにしてエッセイスト、音楽博士にして大阪音楽大学教授、ドビュッシー研究家としても知られる青柳いづみこ先生が用意された今夜のプログラムは『1915年のドビュッシー ~ ショパンへの想い』。
んッ? déjà-vu?!

 

なんとなく既視感・・・と思ったら、昨年11月の「ワンコイン市民コンサート」にプログラムされていたのがドビュッシ−1914 青柳いづみこプロデュース メルヘンと19世紀末デカダンス』(→記事参照)。

♪もうォ 一年 たァったんですねェ〜♪と歌ってしまうぞ。

20151120.jpg


"ドビュッシーの創作活動の足跡を、百年後の今に再現"
しようという試みは「1914」と同じでも、昨年が"
ドビュッシーが心惹かれた二つの相反する世界、「おもちゃ箱」、「子供の領分」に代表されるメルヘンと、「ビリティス」に代表される19世紀末デカダンスという2つの源流"という切り口なら、今年の「1915」は"1915年当時、前年から始まった第一次世界大戦に打ちのめされて、ドビュッシーは何も書けなくなっていました。そんな時、フランスの出版社であるデュランからショパン全集の校訂を頼まれて、それがドビュッシーの創作意欲を甦らせたのです。1915年夏に次々と生み出された『12の練習曲』、『チェロとピアノのためのソナタ』、『白と黒で』に、晩年のショパンが新たな可能性を探った『チェロ・ソナタ』などを合わせました"なプログラム。

いづみこ先生によると、"1915年は3年後に亡くなるドビュッシーにとって、創作意欲が湧き上がった最後の年"なのだとか。

クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862年8月22日 - 1918年3月25日)の1915年。
戦火を間近に見つつ、病い(大腸癌)を得て、実母や義母も亡くなり、大きなストレスを抱えながらも、その衝撞を音楽に傾げた最晩年。
今夜演奏される『慈善団体「負傷者の衣」のために(pour l'oeuvre "Vêtement du blessé")』や『チェロソナタ ニ短調(Sonate pour violoncelle et piano)』が作られたのはその最中。
そして、今回のテーマでもある"ショパンへの想い"・・・「ショパンの追憶に(À la mémoire de Chopin)」献呈された『12の練習曲(Douze Études pour piano)』。

それらの楽曲とともに、ドビュッシーが想いを寄せたショパンの佳曲も幾つか。そうして用意されたのが、

ショパン

練習曲 op.25」より『第1番 変イ長調「エオリアンハープ」

「華麗なるワルツ 変イ長調 op.34-2

ワルツ 嬰ハ短調 op.64-2

チェロ・ソナタ 作品65
ドビュッシー(1915年の作品から)
負傷者の衣服のための作品
」
エレジー
」
12の練習曲」から『対比音のための』/『アルペッジョのための』

チェロとピアノのためのソナタ

2つの「チェロ・ソナタ」だけでもおサボりする価値あり・・・でしょ?!
先達ての「無伴奏チェロ作品リサイタル(→記事参照)」に続いて、3日後の23日(祝)にも「チェロ・コンサート」に赴く予定。今月は何気に、ワタシにとって『チェロ月間』(笑)。

で、何をおいても、ドビュッシー。彼とショパンの関係は・・・。

9歳の年、ショパンの直弟子と言われるマリー・モテ・ド・フルールヴィル夫人から手解きを受け、10歳の若さでパリ音楽院に入学し、ピアニストを目指した彼が学内のコンクールで演奏したのもショパンの作品。
そして、迫り来る戦火と身体を蝕む病いに打ち拉がれながらも、出版社からショパン全集の校訂を依頼されたことで、再び音楽への意欲を湧き上がらせた1915年。
原点回帰・・・のようでいて、19世紀末のフィルターを通過した、20世紀のショパニスム(Chopinisme)、ピアニスム(pianisme)。
ショパンの「練習曲」はドビュッシーの「エチュード」に窯変し、偶然にも互いの晩節を飾ることとなった「ピアノとチェロのためのソナタ」も歪んだ硝子を透視するように観えて、それは宛かも、ドビュッシーが紡ぎ出す調べに似て、近くて遠い、遠くて近い、曖昧な、それでいて深い結びつき。
他の多くの作曲家の影響だけでなく、絵画や文学までも範としたドビュッシー音楽の、"プリンシプル"や"〜isme"よりもっと深い、その中心にあったのはショパンの足跡。その影を追うのではなく、そこから抽出した主観的エッセンスを燻らせたのがドビュッシー音楽。「印象派」だとか、「象徴主義」だとかで、ひと括りにして欲しくない。
ドビュッシーが創造した音響的宇宙の中心核(コア)がフレデリック・フランソワ・ショパン
(Frédéric François Chopin 1810年3月1日 - 1849年10月17日)。

IMG_7081.jpg


さて、会場として選ばれたのが、淀屋橋駅にほど近い大阪倶楽部。この界隈には幾つか、大正年間に建てられたビルヂングが今も残るのだけど、ここもそのひとつ。「1915年」を演じるに相応しいホールと言えるか。
開場が18:30、開演19:00。ワタシがエントランスに辿り着いたのが開場なってすぐ。4階のホールまで上がった時には席の半数はもう埋まっていて、ピアノの鍵盤が間近に視えるところは空いていなかった。Steinway B211の黒くて大きなボディ越しに、いづみこ先生の運指を想像するのも悪くないと思ってはみたものの・・・。

開演となって、前半はショパンの作品から。
一曲目は、この曲をして、ショパンを"詩人"として知らしめた「エオリアンハープ」。この楽曲を一等最初に演奏されたのは、今回のテーマ「ドビュッシーショパン」に大いに関係するから。
それに続くのは、作曲家自身が好んだという「円舞曲」2題。晩年に書かれた「第7番」より若い頃に作られた「第2番」の方が、「華麗なる〜」というタイトルに反してメランコリックなのは何故だろう?
それが書かれた1931年といえば、ワルシャワ蜂起が失敗に終わった頃。では何故に、「円舞曲」なの・・・となってしまう。
祖国を離れ、ウィーンからパリへ移る道すがら、職業音楽家としては演奏会でウケる曲を演奏しないといけないが、ココロは祖国を憂い・・・ということなのかしらン? このあたり、要研究、やね。

曲間にはショパンのひととなりや楽曲についての解説が入る。プログラムされた曲以外に、短くサンプル演奏も入って、ちょっとピアノ科の講義めいて・・・。
いづみこ先生によると、ショパンはピアノを愛した傍らチェロにも思い入れがあって、この「ワルツ」もチェロ的なフレージングを含んでいるのだとか。それ故の選曲とのこと。"ショパン=ピアノ"という先入観があってか、それは思い至らなかったなァ。
ジョルジュ・サンドとの出逢いと別れ、それからのスランプと病魔、パブリックな演奏会よりプライヴェートなサロン・コンサートを好んで、当時の肩書きとしては"ピアノの先生"だった云々。

そして、ショパンがその最晩年に著した「チェロソナタ」。"ピアノの詩人"が新境地を開こうと、チェロやヴァイオリンのための楽曲を構想した中で完成を見た、友人でもあるチェリスト、オーギュスト・フランショームのために書いた難解なその曲は、ドビュッシーが「ショパンの追憶に」宛てた「エチュード」に対して、ショパン自身が「短い生涯とその追憶」に宛てた「レクイエム」にも想えてしまう。愛する故国を離れて、泡沫のパリ、そして追憶・・・。

この楽曲を演奏するにあたって、いづみこ先生が招いたパートナーは金子鈴太郎さん。J.S.バッハから現代音楽、無伴奏チェロからアンサンブル、管弦楽と幅広く活躍されておられるチェリスト。全身でチェロを奏でての熱演・・・なのだけど、左手の指先、右手に持った弓先の動きはあくまで繊細。ふくよかにチェロを歌わせて、ゆったりと振幅の大きなヴィブラートが気持ちいい。
それと相まって、Steinway B211も張力が上がったような印象を受けてしまう。凛と響き合うハーモニーは、デュオという以上の存在感で、贅沢な気分を味わわせて頂いた。

インターミッションを挟んで、後半はドビュッシー。序開は「エチュード」から。
1915年当時、何を書いていいか迷うこととなった彼にショパン全集の校訂という依頼が来たことから、再び創作意欲と"詩人"に対する敬愛が湧き上がって、書き上げた2集24曲の「練習曲」。
ここでもいづみこ先生の解説・・・講義が入って、フルールヴィル夫人から手解きされた際に、同時にショパン独自の運指法を伝授された・・・らしいと・・・。
手も小さく、指も短く、総じてチカラもなかったショパンは、それに代えて、"まるでゴムのよう"と評されるほど手首が柔らかであったそうな。カール・チェルニーや既存の練習曲がハ長調から始まることの疑問を抱きつつ、それを嘲笑していたショパンは五指を機能的に使い分けて、独自の指使いを編み出し、それによるフレージングを生み出した。しかし、それは一般的に広まることはなく、孫弟子であるドビュッシーに秘伝された・・・らしいと・・・。
それ故に、パリ音楽院では、ショパンの楽曲が課題となった時は好成績を得られても、他の作曲家の作品になると運指が支離滅裂となって、卒業を得られなかったとかなんとか。
ドビュッシーの、ドビュッシーらしさを生み出している裏にはそんなプライヴァシーがあったのですな。
そして、それは彼の「練習曲」にも繋がると・・・。それは皮肉屋のドビュッシーらしく、ハ長調から始まり、『第1曲』は「五本の指のための練習曲、チェルニー氏による」と副題されている。
特に運指についての指定がないドビュッシーの「練習曲」。一般的なフィンガリングとするか、ショパンから伝わる独自のそれにするか、悩んだ末にあえて指示しなかったということか。
その指使いを交えて解説されるから、やはり鍵盤が視える位置を選ぶべきだったようですな(溜息)。

負傷者の衣服のための作品
」、「エレジー
」を挟んで、プログラム最後の曲は、金子鈴太郎さんが再登場しての、「チェロとピアノのためのソナタ」。
若い頃の作品とも風味が異なり、まるでショパンの晩年の「チェロソナタ」にも似て、集大成的な表情を持ったその楽曲では、チェロは深く広がりのある音色と様々なテクニカルな表現とで、ピアノとともに柔軟に歌い上げる。異国的なスケールからなる調べの中、特殊奏法を駆使することになる弦楽器の、語りかけるような低い音域でのピッツィカートがちょっとセクシー。『第2楽章』が『セレナード(Sérénade)』となっているのは亡き母への想い・・・とも思ったのだが、何やら絵画からテーマを引用しているそうな・・・。これも、要研究、やね。

用意されたプログラムの後、アンコールとして披露されたのはショパンの「夜想曲 第2番 変ホ長調 作品9-2」・・・なのだけど、いづみこ先生のピアノ・ソロではなく、金子さんとのデュオで、それも少し知られた「チェロとピアノのための夜想曲」とはせず、先達て『ショパン・コンクール』開催の折りに、同じ宿に居合わせた焦元溥(チャオ・ユアンプ)から教えられたという版をYouTubeから譜面を起こして、今日のために用意したのだとか。本邦初演(?!)となるのでしょうが、聴き慣れた「ノクターン 第2番」が、これを聴くと確かにショパンはチェロも好んでいたのだろうと思われるような印象で、新鮮な「Nocturne pour violoncelle et piano」を聴いた思いがした。
"ショパンは「ノクターン」"と決め打ちしているワタシ(→記事参照)、ヴァイオリン版は聴いたことあるが、チェロ版は初めて。が、そのチェロがいい。ピアノと主旋律を譲り合うのだけれど、語り合うようで、歌曲的で愛らしい「第2番」、スゥーティなんだけど甘過ぎないのがいい感じ。チェロ版夜想曲集を探さなくちゃ、と思った次第。
さらにもう一曲。ドビュッシーの「前奏曲集 第1巻 L.117」から『第12曲 ミンストレル』。こちらもチェロとのデュオ・ヴァージョン。先の「ワンコイン市民コンサート」で教えて頂いたチェロの特殊奏法もふんだんに盛り込まれて、いや、面白いという以上に、チェロに無限の可能性を垣間見たようで、ショパンがその楽器を愛した理由も伺い知れたというもの。"ショパン=ピアノ"なんて思い込みはいけませんね。

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ピアノもチェロも、ショパンドビュッシーも堪能出来た演奏会。唄いかける詩人と宇宙を生み出した創造主の作品たち。おまけに、ピアノ演奏のレクチャーまで受けさせて頂いて、満足感、満腹感どころか酩酊してしまいそうなほど酔い痴れたのだけど、帰りがけに見掛けたサインボードもちょっと気になったりして・・・。

今月は音楽月間にしてチェロ月間。明日は「南 杏佳(Pf)マグノリア・サロンコンサート」で23日が「近藤 浩志(Vc)マグノリア・サロンコンサート」。酩酊どころか酔い潰れる・・・ことになるのかな??

こちらもオススメ? 『夜に想う


タグ:大阪倶楽部
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